• 2011.03.31 Thursday
  • 3.11

 3.11当日、私は偶然にも子供たちが通う小学校の校庭にいました。
あの時間はちょうど3年生以下の下校時刻。

ちょうど1年生が校舎から出てきた時に地震に襲われました。

私は今まで、震度5強の揺れを3回ほど経験してますが、こんなに長い揺れは初めて。

まだ揺れが収まっていないときに、宮崎の義母から電話が…。
宮城が大変なことになってるけど…という義母の言葉に

「東京も揺れてますーーーーー」

と言うのが精いっぱい。
(義母は東京も大揺れであることには気づかなかった模様…汗)
でも、この時、子供たちと自分の無事を伝えることができ、ある意味、早い段階で連絡をもらえたのが幸いしました。
(義父は船に乗ってる状態のダンナに連絡をしたそうな)

揺れが落ち着いたところで、校舎にいた子供たちが校庭に集合。

長男の担任(東京生まれ東京育ち)の先生の真っ青な顔が忘れられません。
若い先生だし、初めてのことでかなり動揺したのだと思います。

そのまま、私は子供たちを引き取り帰路へ…。

その帰り道でも大きな余震がきて、これはただ事ではない…と確信。

家の中は、タンスの引き出しが開いてたり、本棚の本が少し落ちた程度。
ほとんど被害はありませんでした。

ちょうどテレビをつけた時、あの大津波が今まさに、名取を飲みこもうとしているところを放送していて、固まりました。

だって…後ろに見えるの東部道路(宮城県の海岸付近を走る高速道路)…なんでこんなところまで波が来てるのよ!!!
ゆりあげ漁港がない!!!
仙台空港の周りが水ってどういうこと!

相馬で生まれ育ち、仙台に3年住んでいたので、土地勘があるだけに名取でこれって…じゃ、相馬は!?浜通りは!?

実家に連絡したくても、電話はつながらない状態。
もちろんケイタイもダメ。

私は祖父母と共に育ったので、昔の話をよく聞いたのですが、地震はあっても津波はこない…地震も宮城がメインでこっち(福島)はあまり被害がない…という話ばかり。
三十数年前の宮城県沖地震でも、津波はこなかった。

なので、正直、相馬港で7メートルの津波観測という報道は信じられなかった。
と同時に、海のすぐそばに住む親せきたちが無事に逃げられたのか…地震発生からいったい何分で波が来たのか…そのことばかり考えていて…

東京の震度がどのくらいだったのか知ったのは最近です(汗)
(震度5以上の地域が、あんなにもたくさんあって、今回の地震規模の大きさを改めて実感)

その日のうちに、東京に住むおじから相馬の家族は無事との連絡をうけて、まずはほっと一安心。

でも、翌日のニュースで見た、我が故郷の惨状をみて、ほっとした気持ちは一変しました。

 3.11以来、行方不明だった親戚が遺体となってみつかりました。

父のいとこである「おんちゃん」(相馬弁でおじさんの意味)は、私たちをとてもかわいがってくれた。
大人になってからも、帰省するたびに実家に顔を出してくれて、

「浜の味だ!食え!」

と、新鮮な魚をくれた。

浜までダッシュ30秒、海の隣に住んでいたおんちゃん。

子供のころ、海水浴といえば、新地町の「釣師浜」だった我が家。
おんちゃんの家に車を止めさせてもらい、帰りにはおばちゃんがお風呂まで用意してくれた。

海水浴のあと、お風呂に入れてもらい、カルピスやスイカをごちそうしてくれたことを、今も昨日のことのように覚えている。

口は悪いけど、すごく優しかったおんちゃん。
二人目のお孫さんが生まれるのを、とても楽しみにしていたのに…。

親戚であるだけで、こんなに悲しいのに、ご家族の気持ちを思うと、言葉が見つかりません。

実家から連絡を受けたのは1週間前…。
今朝の新聞におんちゃんの名前があり、本当のことだったんだ…と、やっと認める…というか、諦めたというか…うまく言えないのですが…。

おんちゃん、どうか安らかに…。

相馬市に住む私の家族は、現在、埼玉県にある妹の家に避難しております。

原発が不安でたまらない…と、一昨日、車で相馬を後にしました。

我が実家では車を2台所有しており、今回の巨大地震後、何が起こるかわからない…と1台だけ使って避難所回りなどをしていたそうです。

幸い、使っていなかった車には、ガソリンが十分入っており(父によればほぼ満タン)、相馬から山を越えて二本松市に入り、そこからは4号線をひたすら南下。

埼玉県の妹宅まで、ガソリンは持ちこたえ、無事に到着することができました。

相馬とはメールでやり取りをしていたのですが、相馬を出る!と聞いた時には、ガソリンが途中でなくなったらどうするのか…山道が通れなかったら…などなど不安で仕方ありませんでした。

無事に埼玉に到着し、母の声を電話で聞いた時、思わず涙が出ました。

行方不明の親戚は、やはりわからず…。
余震も続き、捜索も難航しているようです。

親戚たちもそれぞれ、福島市内や仙台、首都圏へ避難をしたそうです。

相馬は、30キロにはぎりぎりかからない場所…南風がふいたら…雨が降ったら…報道では大丈夫だと言われてはいても、やはり不安はぬぐえなかったそうです。

父が「地震も津波も乗り越えようと思った…だけど、目に見えないものは…もう、どうしようもない…」

86歳の祖母は、最初、自分だけは相馬に残る!!とがんばっていたそうですが、両親が説得し、一緒に妹宅へきました。
80年以上も相馬に住んできた祖母です。
さすがに今回の震災はショックが大きく、祖母にいつもの元気がないのが心配です。
無理もないのですが…。

家も無事、津波の被害もなかった…なのに、住みなれた土地を後にしなければならない、原発事故…もう、こんなつらい思いを他の地域の方にして欲しくないのが本音です。

東電の社員さん、危険を顧みずがんばって作業をしてくれています。
事故現場で頑張っている作業員の家族のことを思うと…胸が痛いです。

どうか、これ以上の惨事にならないことを祈るだけです。

私たち家族はみんな無事です!!

福島県相馬に住んでいる私の家族も無事です。

実家は市内でも高い場所にあるのですが、津波の水が目で確認できるところまで来ていたそうです。

海からは15キロも離れているのに…。

ただ、海近くに住んでいる親戚の安否がわからない…。
それが今、一番の心配ごとです。

私を育ててくれた海…大好きな故郷…。
こんなことになるなんて、全く想像していませんでした。

仙台にも3年住んでいましたので、今回の地震と津波に、家族一同大変ショックを受けています。

一日も早い復旧を願うばかりです。

今は節電に励みます!!!!

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